イコジン日記

多賀淳一が、食べる日常、出会う日常をのんびりと綴っていきます~

地球人として(ニューオリンズ編⑦)

そんなこんながありながらも、気が付い

たら、大学の日本語講師の老婆の日本人

がもうすぐ召される年だから、お前が

後任をやれと言われた。

 

多賀とは一番相性が最後まで悪かった

婆さんだ。しかし断った。

ニューオリンズの治安は全米一

悪くて、一生いられる場所でないのは

わかっていたからだ。

 

そんな多賀だったが、食事事情改善も

テーマで、まずは、クラスメイトとの、

ランチをかけてのラケットボールに命

を燃やした。

テニス部だったおかげもあったが、

連戦連勝だった。

クラスメイトは皆いいとこの子女

だったので、勝っても罪悪感は

微塵も感じなかった。

 

兎に角、栄養失調だけにはなりたく

なかった。それでも激しい運動の割

には少ない食事だったせいか、

安定して痩せていった。

そんな多賀を見かねて、姉御肌の

ひとみさんが、毎日お弁当を作って

くれて、カフェテリアで食べさせて

くれた。

 

こんな所で、同胞の日本人から

餓死者を出すわけにはいかない

と言われた。

弁当は死ぬほど美味かった。

いつかこんな人と結婚出来たら

いいなと思った。

 

ある日は、自分に課した課題を

持って1日にのぞんだ

出会った奴全員にハーイかハロー

を言って、返事が返ってきた数を

数えてみるって事だ。

果たして、全員から返事をもらって、

その数はなんと400人を超えた。

凄い事だと思った。

 

名前の呼ばれ方も考えた。

皆にTAGASANが名前のように伝えた。

皆が、そこかしこで会うたびに、

たがさん、たがさんと呼ぶのを聞いて、

長期滞在の日本人留学生から羨望の

眼差しを受けた。

 

ニューオリンズダウンタウン

毎週末に仲間と通った。

若いお上りさんには眩しい

程のフレンチクォーターだった。

ジャズの調べが、どんどん身に沁みれば

沁みるほど、心地よくなっていった。

 

気が付いたら、メイゾンバーボンと言う

ニューオリンズで2番目に古いジャズハウス

に通い詰めていた。

そこで黒人のミュージシャン達と親しく

なった。

毎回覚えたてのブラッディ・マリーを

オーダーした。毎回腰が抜けるまで飲んだ。

口回りがトマトの赤まみれでへべれけに

なっている自分が何だかおかしかった。

 

ある日飲みすぎて、気が大きくなって

ステージにあがって、気持ち良く歌って

しまった。ボーカルの親父に流石に

この時ばかりはこっぴどく叱られた。

他のメンバーはゲラゲラ笑っていた。

心が広いなと思った。

 

ニューオリンズプランテーションの街だ。

だからその差別と言うより、もう区別に

なってしまっていた。

エレベーターには絶対に白人と黒人は

一緒に乗らなかった。

見ているだけで吐きそうだった。

こんな奴らがどんなに美辞麗句並べ立てても

信頼など出来るものか!と毎度、心の中で

叫んでいた。

 

だけど、日本での、およそ少ない民族の中で

嘘くさい平等主義の中で、安穏と暮らして

いるより、問題点が如実に浮き出てきている、

アメリカの方が、実は健全なのでなないか?

とも思った。

 

ラケットボールは面白かった!

スポーツセンターの受付の学生さん

スゲー仲良くなった

このボーカルのオヤジのソウルソングにはいつも泣かされた