イコジン日記

多賀淳一が、食べる日常、出会う日常をのんびりと綴っていきます~

歳の離れた友達

多賀には25歳程に歳の離れた友達がいる。

友達と言ったら少し語弊があるかもしれ

ないけど、とても親しいじじいがいる。

市場の組合のオヤジなのだが、

御年82歳位だったと思う。

 

かなりのヘビーな作業をこなされている

からか、今だに筋肉隆々なのだ。

それも無駄の一切ない見事な筋肉だ。

そんな石渡のじじいとは、

かれこれ15年以上の付き合いになる。

 

歳の差は親子程あるのだが、最初から

何故だか不思議と馬があって、親しい

からの口喧嘩、これが男女だったら

痴話げんかに近しい位の、

心地よい口喧嘩をさせて頂いている。

 

きっとその光景を始めての人が見たら

ハラハラするような光景だと思う。

だけど、当事者同士はお互いを激しく

罵りあいながらも、あくまでも相手を

思いやっての、リスペクトし合っての

罵りあいなので、そこには、

会話の中からの恍惚とした気持ち良さ

しかなくて、罵りあいが終わった後に、

「今日は気持ちいい朝だな~おい」

って感じで石渡のじじいが言って会話

が終わるのだが、この罵りあいこそが、

実は多賀の元気の源になっているのだ。

 

リアルな交流からの人間としての

存在価値の創出は、実はこれなんだよ!

って迷える論客にあっけなく言って

やりたくなる。そんな一人称な朝になった。

 

石渡のクソじじい!長生きしてね!

大好きなのだ

 

禅が教えてくれる美しい人をつくる「所作」の基本 枡野俊明著 を読んで

ブログで近しい事は何度も最近書いている

のだが、今の多賀は兎に角、己の所作、

立ち振る舞いをとても気にかけている。

 

それは所作程に自身の生き様、

生きてきた証を如実に表すファクター

がないからだ。

 

そしてそれが外からの見える見立て

ではなく、内なる心根からの表しと

して捉えると、これこそに深淵で

慎み深く、そしてそれの追求こそが、

人生としての基軸としての輝きを

持つのだとわかってきていた。

 

一見外見から凄く頑張って生きている

人に見えても、そこに内からの美しさ

が伴わなければ、全ては無に帰する

哀しき実例をあからさまに見てしまった

からなのか、今だから見えるのか、

そこに経験の無情を知るわけだが、

己の所作が見えると、その例とは逆に、

思わぬの美しい所作を見落とす事も

なくなってくるのだ。よく言う

パラドクス理論からの心理への

導きって奴であろうか、、。

 

そんな所作への気付きを持ちながら

拝読した、枡野住職が書かれた所作の

基本。

今の多賀の所作の確認にはドンピシャな

タイミングだった。そういうものだとも

思った。

 

また良本どころか、教科書としての大切

な本になった。

 

心に沁みる言霊に溢れていた。

 

以下住職言)

 

・ 視覚情報が多すぎると、それに影響

されて気持ちも落ち着かなくなるのです。

“半眼”は情報をカット出来ますから、

気持ちがとても落ち着きます。

 

・ 呼吸のポイントは「吐ききる」こと。

吐く時はお腹のなかの“邪気”が出ていく

イメージ。

 

・ 一服のお茶を心ゆくまで楽しんで

いる姿、一膳の食事を、ただ、それだけ

を心の底から味わっている姿。

それにまさる美しい所作がありますか?

 

・ 慈しみの心から発する愛を持った

言葉は、天地宇宙をひっくり返すほど

の力がある。

 

・ 忙しいということは 「心」 を 「亡」

くすことです。多忙のなかで、なお、

ゆったりとした時間を持つ。心を整え、

しなやかにしていくためには、そのこと

が不可欠です。

 

・ 自然のなかを歩くことは、渇いた心

に潤いを与えること、また、五感を

研ぎ澄ますことです。

 

・ 「暁天座禅」 朝を大切にする人は

一日を大切にする人、そして、人生を

一生懸命、大切に生きる人なのです。

 

・ 「日々是好日」 つらさや寂しさも、

ほかの誰でもない、その日のあなただけ

が出来た経験。そしてその後二度と味わ

えないかもしれない経験です。

それはいつか必ず、生きる糧になる。

ですから、どんな一日もあなたにとって

かけがえのないもの、好日と受け止める

べきものなのです。

 

・ 「ただ」 の意味は 「ひたすら」

ということです。湯を沸かすことに、

ただそれだけに、ひたすら一生懸命になる。

急須にお茶の葉を入れることも一生懸命。

お茶に込めた心は、飲む人にも伝わります。

「ただ」 に徹することが大事。

 

・ 禅に 「あるべきものが、あるべきところ

に、あるべきように、ある」 という言葉

があります。それが自然ということです。

 

・ 仏教には 「忘己利他」 という言葉が

あります。「己を忘れて、他を利するは、

慈悲の極みなり」 という事。かみ砕くと、

自分のことはあとまわしにして、

まず、他人のことを考え、喜ぶことを

するのが、仏教の道にかなった生き方だ。

ということでしょう。

 

・ ものを捨てることは執着を捨てること

ですから、心も軽くなるのです。

捨てることでものを大切にする生活が

自然に実現するのです。

 

全てが身に沁みいった。

 

そして

人って面白いと思った。

生きていくって痛快なのだなとも思った。

教科書になりました

登山再開(大楠山)

 

言の葉

最近、また、人と会う機会が増えている

のだが、そこでの相手の所作を通して、

実は自分の言葉遣いを改めて考える事が

度々ある。

 

ここ数年だが、多賀は言葉遣いに今まで

以上に気を使うように意識していた。

それは言葉遣いに品の無い人間に、

その裏の素顔が見えてきたからだ。

 

そこで勘違いしがちなのだが、

一見丁寧に聞こえるからの良し

としての言葉ともまた違って、

どんなに上っ面で丁寧でも、

そこに品と人格が伴っていないと、

それもまた無に帰すると言う事なのだ。

 

面白い事に、自分の事しか考えられない、

はたまた生き方がケチな人間、

性根が意地悪な人間の言葉は自己の満足、

他者の否定に終始する文言が走るので、

一見とても丁寧に話していても、

なのにどこか卑屈で言葉に品が伴わない。

そしてそこからの本物からの共感、

共鳴は生まれない。

 

逆に、そこに思いやりと自利利他の精神

に満ち溢れている人の言葉は、

例えばそれが、一見乱暴で粗暴な言葉遣い

のようであっても、言葉に温もりを

乗せているので、そこはかとなく

耳心地の良い時間を頂く事が出来るのだ。

 

そんな事を考えながら三崎でのいつもの

朝を迎えるのだが、今朝も先輩に辛みを

持った言葉を頂くわけだが、

その辛みとは言っても、そこに絶妙な

スパイスを効かせての言の葉なものだから、

その葉がなんとも心地よく宙を舞って

耳元にゆったりと届けられるのだ。

 

そして最近の気付きだが、三崎なんて

最たるものなのだが、先輩方の言葉が

一見粗暴に聞こえるが、よくよく聞くと、

尊敬語、丁寧語、謙譲語の三拍子が

見事にバランスが取れていて、

そこに少しのラフなエッセンスを

ぶち込んでいるのだ。基本に丁寧な

言葉をしっかりと踏襲しながらのラフに

会話を楽しまれているのだ。

 

多賀はそんな三崎の中で飛び交う、

優しい言の葉のやり取りが本当に

大好きだ。

言の葉と品と人格、大切にして

生きていきたい。

今朝の作業場

幸せな朝

 

(書評)ウクライナから来た少女「ズラータ16歳の日記を読んで」

2022年2月、ただ普通の日常を送っていた

だけなウクライナの市民に訪れた、

無意味な戦争。

 

戦争に意味を見出そうとする輩が知識人に

散見されるが、多賀はその一切の事象を

認める言葉を持ち合わせていないし、

一生それに迎合するつもりもない。

ただただアホな奴らだなと思うだけだ。

 

戦争は欲に駆られた馬鹿な大人の幼稚な

喧嘩だと思っているのだが、喧嘩なんて、

タイマンでやって、当人同士が痛みを

分かち合えば良いだけの話なのだ。

 

それを何の罪のない、何の関係もない人

を巻き込むのだから、そしてそこに命の

やり取りまでさせてしまうのだから、

これ以上の愚かしい事なんてないと

思っている。

 

もし自分の子供が、戦争に行って、

その尊い命に何かがあったら、多賀は

それを先導した人間を一生許さない。

 

その対象はある意味、敵ではなく、

味方だと思っていた側に隠れている

のではないかとも思っている。

 

だから、そんな事を考えながらも、

それにしても今回のウクライナの戦争は、

余りにも無意味さが露呈されていて、

その先導者の愚かさが滲み出ていすぎる。

そして余りにも子供じみている。

いや、子供の方がもっと賢いはずだ。

 

そんな戦乱の中から、日本が大好きで

若くして独力と周囲のサポートもあり

ながら、周囲も驚くほどの日本語の

習得をしたウクライナの少女のズラータ。

そしてその母親の必死な中からの計らいで、

戦禍を逃れての日本への脱出。

 

そしてそこまでの行程と、

そこまでの困難と。

そこに共通して伺えるのは、

ズラータ母子の強烈な意志だった。

 

「意志ある所に人は集まる」

とはよく言われるが、まさしく

ズラータの強い意志が、母親の

加護さえ超えて、その途中から

ズラータ本人を日本に導く事になった。

 

人には誰にでも、そのものの大小は

あったとしても意志はあるはずだ。

それを自分の為だけに向けるのか、

人の笑顔を頂く事に向けるのか?

それによってその行動にえらくの

差異が生じるのだと思った。

 

ズラータは、ウクライナと日本との

架け橋にならんとする強い意志が

そこに確固たる存在をさせている。

これは、人が生きる道としてとても

大事な標(しるべ)の教訓を示して

くれていると思った。

 

誰かの為に生きるのか?

自分の為だけに生きるのか?

そこに人生の吉備があるのかも

しれないと思った。

良本で教本です

こんな景色を平和な中で享受出来る有難みを常に感じていたい

 

地球人として(ニューオリンズ編⑧)

色々あった事は、この後も出来たら書いて

みたいので、もし読んで下さっていれば

また書いてみたい。

 

いよいよに、最後の授業を迎えた。

ここに残る者の方が多くて、ほぼ多賀の

送別的な要素が大きかった。

 

ひとみさんが声をあげた。

「今日で多賀さんとは皆さんお別れです。

多賀さんは皆さんと、日本人であるにも

関わらず他の日本人と違って、

こんなにも打ち解けてこんなにも楽し

そうに見えています」

 

「私は、こんな日本人は見た事が

ありません」

「だけど、多賀さんは日本に帰って、

日本の会社に就職します。

そして多賀さんは、そこではとても

苦労するのが決まっています」

何で?とクラスメイトが聞いた。

 

「日本には出る杭は打たれるという

言葉があります。多賀さんは出る杭

だから打たれるのです」

 

細かいやり取りの後、日本での出る杭

の意味、海外では出る杭は育てるのに

・・と言ってくれた。

そして、女子たちが何回かのやり取り

のあと、皆泣き出した。よく泣いてくれた。

「タガサン!」日本に帰っちゃだめだ!

と皆が合唱してくれた。

皆で泣きまくった。

 

最後に皆でハグしまくった

女性とのハグだけは、最後まで及び腰だ

った。だけどこの習慣はとても好きに

なった。シェイクハンドとハグは真似

しても良い文化の一つだと思った。

 

ひとみさんから、貴方は他の人の

3年分以上かかっても出来ない成果を

たった3ヶ月で成し遂げたのよと

言われた。嬉しかった。本当に

嬉しかった。

 

最後の夜、ドミトリーの部屋に

ギリアーミが訪れた。

部屋に入る前から泣いていた。

 

そして、本当は親しくなった女子に

あげるつもりだったと、綺麗な石を

くれた。

 

そしてハグし合いながら大きな声で、

お前が女だったらどんなにか良かった

のに~と訳の分からない事を言われた。

だけど多賀も同じくだと答えていた。

 

同郷のジュリオから、お前たちは

ベストフレンドだ!と言われた。

 

ヴィットーリアにはちゃんと別れの

挨拶が出来なかった。

人生とは悔いと後悔の旅なのだな、

と若いなりに納得しながら帰途についた。

 

ずっとギリアーミと一緒だったな~

アナともお別れ

毎晩一緒に宿題したなぁ~

良い経験だった

 

地球人として(ニューオリンズ編⑦)

そんなこんながありながらも、気が付い

たら、大学の日本語講師の老婆の日本人

がもうすぐ召される年だから、お前が

後任をやれと言われた。

 

多賀とは一番相性が最後まで悪かった

婆さんだ。しかし断った。

ニューオリンズの治安は全米一

悪くて、一生いられる場所でないのは

わかっていたからだ。

 

そんな多賀だったが、食事事情改善も

テーマで、まずは、クラスメイトとの、

ランチをかけてのラケットボールに命

を燃やした。

テニス部だったおかげもあったが、

連戦連勝だった。

クラスメイトは皆いいとこの子女

だったので、勝っても罪悪感は

微塵も感じなかった。

 

兎に角、栄養失調だけにはなりたく

なかった。それでも激しい運動の割

には少ない食事だったせいか、

安定して痩せていった。

そんな多賀を見かねて、姉御肌の

ひとみさんが、毎日お弁当を作って

くれて、カフェテリアで食べさせて

くれた。

 

こんな所で、同胞の日本人から

餓死者を出すわけにはいかない

と言われた。

弁当は死ぬほど美味かった。

いつかこんな人と結婚出来たら

いいなと思った。

 

ある日は、自分に課した課題を

持って1日にのぞんだ

出会った奴全員にハーイかハロー

を言って、返事が返ってきた数を

数えてみるって事だ。

果たして、全員から返事をもらって、

その数はなんと400人を超えた。

凄い事だと思った。

 

名前の呼ばれ方も考えた。

皆にTAGASANが名前のように伝えた。

皆が、そこかしこで会うたびに、

たがさん、たがさんと呼ぶのを聞いて、

長期滞在の日本人留学生から羨望の

眼差しを受けた。

 

ニューオリンズダウンタウン

毎週末に仲間と通った。

若いお上りさんには眩しい

程のフレンチクォーターだった。

ジャズの調べが、どんどん身に沁みれば

沁みるほど、心地よくなっていった。

 

気が付いたら、メイゾンバーボンと言う

ニューオリンズで2番目に古いジャズハウス

に通い詰めていた。

そこで黒人のミュージシャン達と親しく

なった。

毎回覚えたてのブラッディ・マリーを

オーダーした。毎回腰が抜けるまで飲んだ。

口回りがトマトの赤まみれでへべれけに

なっている自分が何だかおかしかった。

 

ある日飲みすぎて、気が大きくなって

ステージにあがって、気持ち良く歌って

しまった。ボーカルの親父に流石に

この時ばかりはこっぴどく叱られた。

他のメンバーはゲラゲラ笑っていた。

心が広いなと思った。

 

ニューオリンズプランテーションの街だ。

だからその差別と言うより、もう区別に

なってしまっていた。

エレベーターには絶対に白人と黒人は

一緒に乗らなかった。

見ているだけで吐きそうだった。

こんな奴らがどんなに美辞麗句並べ立てても

信頼など出来るものか!と毎度、心の中で

叫んでいた。

 

だけど、日本での、およそ少ない民族の中で

嘘くさい平等主義の中で、安穏と暮らして

いるより、問題点が如実に浮き出てきている、

アメリカの方が、実は健全なのでなないか?

とも思った。

 

ラケットボールは面白かった!

スポーツセンターの受付の学生さん

スゲー仲良くなった

このボーカルのオヤジのソウルソングにはいつも泣かされた

 

地球人として(ニューオリンズ編⑥)

そのギリアーミとは女性の好みが

少しだけ似ていた。

2人とも先生の1人のスーザンが

気になって仕方がなかった。

 

スーザンは割と際どい服を着て

いる割には、敬虔なクリスチャン

だった。

 

多賀と仲間で、ある言葉が流行って

いた。というか流行らせた。

ちんち〇と言う幼児が大好きな言葉だ。

それをポルトギーではカラーリョと

言うのも教わった。

 

そして、いつからか多賀の部屋は

チンチンハウスと言う、名前の紙が

貼られていた。ご丁寧に絵付きだった。

 

そのスーザンに

マーティン・ルーサー・キング

キング牧師)についての見識を言える

人との挙手を求められたので、

真っ先に手を挙げた。

 

そこで多賀はアソコを指さして、

ディスイズ、ルーサー。

ルーサースピーキングと言った。

そしてマイ、チンチ〇、ルーサー、

キング!てやってしまった。

男性陣は腹を抱えて笑った。

 

クリスチャンなスーザンは、

顔を真っ赤にして教室からいな

くなってしまった。

果たして女子全員からその日は、

酷く冷たくされた。

いつもは怒らない、チーヨンでさえ、

貴方はstupidだと言って、

その日は冷たくされた。

 

ひとみさんからは、貴方みたいな

日本人は見た事ないよと言われた。

 

この頃だったか、寮の相部屋の

同室のすこぶるシャイでナイーブな、

コンゴ人が、部屋から出て行った。

 

TOEFLのスコアが多賀より悪かった

のが信じられなくて、暫く頭を

抱えていた姿の残像と、お前は、

毎日、人を招き入れすぎてうるさい

と言う捨て台詞を残して去っていった。

同じコンゴ人でも、

死ぬほどオラオラのエリックとは

えらい違いがあるもんだと思った。

 

つづく

ギリアーミとジュリオの部屋で反省会