イコジン日記

多賀淳一が、食べる日常、出会う日常をのんびりと綴っていきます~

禅が教えてくれる美しい人をつくる「所作」の基本 枡野俊明著 を読んで

ブログで近しい事は何度も最近書いている

のだが、今の多賀は兎に角、己の所作、

立ち振る舞いをとても気にかけている。

 

それは所作程に自身の生き様、

生きてきた証を如実に表すファクター

がないからだ。

 

そしてそれが外からの見える見立て

ではなく、内なる心根からの表しと

して捉えると、これこそに深淵で

慎み深く、そしてそれの追求こそが、

人生としての基軸としての輝きを

持つのだとわかってきていた。

 

一見外見から凄く頑張って生きている

人に見えても、そこに内からの美しさ

が伴わなければ、全ては無に帰する

哀しき実例をあからさまに見てしまった

からなのか、今だから見えるのか、

そこに経験の無情を知るわけだが、

己の所作が見えると、その例とは逆に、

思わぬの美しい所作を見落とす事も

なくなってくるのだ。よく言う

パラドクス理論からの心理への

導きって奴であろうか、、。

 

そんな所作への気付きを持ちながら

拝読した、枡野住職が書かれた所作の

基本。

今の多賀の所作の確認にはドンピシャな

タイミングだった。そういうものだとも

思った。

 

また良本どころか、教科書としての大切

な本になった。

 

心に沁みる言霊に溢れていた。

 

以下住職言)

 

・ 視覚情報が多すぎると、それに影響

されて気持ちも落ち着かなくなるのです。

“半眼”は情報をカット出来ますから、

気持ちがとても落ち着きます。

 

・ 呼吸のポイントは「吐ききる」こと。

吐く時はお腹のなかの“邪気”が出ていく

イメージ。

 

・ 一服のお茶を心ゆくまで楽しんで

いる姿、一膳の食事を、ただ、それだけ

を心の底から味わっている姿。

それにまさる美しい所作がありますか?

 

・ 慈しみの心から発する愛を持った

言葉は、天地宇宙をひっくり返すほど

の力がある。

 

・ 忙しいということは 「心」 を 「亡」

くすことです。多忙のなかで、なお、

ゆったりとした時間を持つ。心を整え、

しなやかにしていくためには、そのこと

が不可欠です。

 

・ 自然のなかを歩くことは、渇いた心

に潤いを与えること、また、五感を

研ぎ澄ますことです。

 

・ 「暁天座禅」 朝を大切にする人は

一日を大切にする人、そして、人生を

一生懸命、大切に生きる人なのです。

 

・ 「日々是好日」 つらさや寂しさも、

ほかの誰でもない、その日のあなただけ

が出来た経験。そしてその後二度と味わ

えないかもしれない経験です。

それはいつか必ず、生きる糧になる。

ですから、どんな一日もあなたにとって

かけがえのないもの、好日と受け止める

べきものなのです。

 

・ 「ただ」 の意味は 「ひたすら」

ということです。湯を沸かすことに、

ただそれだけに、ひたすら一生懸命になる。

急須にお茶の葉を入れることも一生懸命。

お茶に込めた心は、飲む人にも伝わります。

「ただ」 に徹することが大事。

 

・ 禅に 「あるべきものが、あるべきところ

に、あるべきように、ある」 という言葉

があります。それが自然ということです。

 

・ 仏教には 「忘己利他」 という言葉が

あります。「己を忘れて、他を利するは、

慈悲の極みなり」 という事。かみ砕くと、

自分のことはあとまわしにして、

まず、他人のことを考え、喜ぶことを

するのが、仏教の道にかなった生き方だ。

ということでしょう。

 

・ ものを捨てることは執着を捨てること

ですから、心も軽くなるのです。

捨てることでものを大切にする生活が

自然に実現するのです。

 

全てが身に沁みいった。

 

そして

人って面白いと思った。

生きていくって痛快なのだなとも思った。

教科書になりました

登山再開(大楠山)